top of page

石清水八幡宮 宇治上神社

~頓宮にて阿弥陀如来様がお出迎へ~


空は青空、最高の天気に恵まれて、待ちに待った聖地探訪の日がやってきた。

集合場所の駐車場に到着し、参加者の方々と合流。


事前の打ち合わせで、今回は本殿の参拝は見送る事になっている。

私は初めてなので、本心、本殿の参拝が出来ないのは少し残念と思っていた。


最初に参加者以外誰もいない頓宮前で主催者の方からの今日のスケジュールの説明がはじまった。

しかし、時間を確認するため携帯電話をのぞくと画面が真っ黒。 が~ん うんともすんともいわない。

おかげで、話しもそこそこにしか聞けていなかった。

これは、エネルギーが高いことの証拠、これからはじまる神秘な出来事を予感していた。

次の場所へ移動しかけたところで携帯はあきらめて、ポケットへしまったところで、聞こえてきた声。


Bさん:「阿弥陀如来様がいらっしゃる」


なんでこんなところに阿弥陀如来様が。


この聖地探訪社のツアーの他にはない醍醐味はここにある。


普通の人には見えないものが見える方(Bさん)、そしてそれを解読される方(Aさん)がこのツアーには来て下さっている。


Aさんによるとここに以前祀られていた阿弥陀如来様の意識体で『ようこそおいで下さいました』とのこと。


後で説明書きを読んでみると

『石清水八幡宮 頓宮・極楽寺跡

 回廊に囲まれた一画を「頓宮」といい、毎年9月15日に勅祭「石清水祭」が行われます。石清水祭の起源は、九州・宇佐神宮から八幡・男山への八幡大神の遷座より、4年後の貞觀5年(863)、宇佐神宮に倣って始められた仏教的な儀礼「放生会」に遡ります。京都の葵祭、奈良の春日祭と並ぶ三大勅祭の一つで、真夜中に山上の本殿から続く行列は、現代によみがえった平安絵巻ともいわれています。

 江戸時代以前は、回廊内の東に頓宮、西には現在の頓宮斎館の位置に、極楽寺がありました。

 極楽寺は元慶7年(883)、石清水八幡宮初代別当・安宗が建立しました。男山の麓の中心施設であり、高良神社とともに、「徒然草』第52段の、仁和寺の法師の逸話に登場します。

 鳥羽伏見の戦いの際に周辺の建物は焼失しました。八幡市の善法律寺に現存する宝冠阿弥陀如来像は、このとき極楽寺から移されたものと伝えられています。』

 (説明書きより)

とありました。


確かに、頓宮の前は極楽寺があって阿弥陀如来様がいらっしゃたのだと思います。


しかし、八幡神は『ウィキペディア(Wikipedia)』によると

本地垂迹においては阿弥陀如来が八幡神の本地仏とされたとあります。

つまり、石清水八幡宮の本殿にいらっしゃるお方は阿弥陀如来様でもあるという事。


私が個人的に感じたことは、つまり、石清水八幡宮の

トップのお方がわざわざ下に降りてきてご挨拶に来て下さったということなのかもしれないということ。

阿弥陀如来様、ありがとうございます。


今回のツアーはそれだけ大きな意味がある事なのかもしれない。


*本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。((Wikipedia)


次に向かったところは、高良神社、石清水社

その後、宇治上神社へ


そこでは、さらなる神秘現象が‥

宇宙人との関係性も‥


つづきは後日

4 views0 comments

Recent Posts

See All

岩屋神社

この日の天気予報は午後から雨の予報、 なんとか持ちこたえてほしいと願っての聖地探訪でした。 9月とはいえ夏と変わらぬ暑さを感じる 蒸し蒸しした日で参加者の皆様の体調も心配です。 まずは、神社のご神前で軽く挨拶を済ませ、 我々の目指す場所、奥の宮へ向かいました。 その前に鳥居の柱に文字が浮き出ているとの事。 意味不明でしたが、のちに分かる事でしょう。 この時はこれから起こる重要な儀式、出来事は全く予

石清水社へ ② 〈聖地探訪-石清水社へ向かう坂道で-竹林〉

聖地探訪 ~石清水社へ 〈聖地探訪-石清水社へ向かう坂道で-竹林〉 次はいよいよ石清水八幡宮の核となる石清水社へ向かいますが、人は誰もいません。こちらの道は昔は表参道でしたが、今はケーブルが走り、ほとんどの観光客がそちらの方を利用しているようです。だからこそ守られている何かがあるのかもしれません。 上り坂に差し掛かり、急な坂道を登り始めると暑い日差しから生い茂った木々が守ってくれてはいますが、気温

bottom of page